期末試験

そろそろ私立大学では前期の期末試験まで1ヶ月というところでしょうか。面白い授業がありました。期末の試験問題を自分で作って来い、というものです。自分で問題を作成して、正解および回答案を用意して、採点基準まで決めろ、というユニークなものです。更には出題の意図まで。私は教育の業界の人間ではないので、このような試験が他でもあるのか無いのか知りませんが、この様な試験、しかも期末試験があるなんて私は初めてです。(海外ではあるのかな?)知識を覚えるだけの試験ではなく、思考、及び思考過程を育てるためには非常に良い方法だと思いました。(先生の側になれば、突飛な試験問題も出てくるので採点は大変だと思いますが。)将来、チャンスがあればやってみたいと思います。

本題

私のプロフィールに入っている「社会的ベンチャーを考えてみます」については全然書いていませんが、これはライフワークのようなものなので、気長に、少しづつブログに書いて行きます。今のところはネタ集めというところでしょうか。フラット化する世界(上) もそんなネタの一つかと思います。本当に読書はカメなので、まだ上巻を読みきっていません。一応、第4部まで読み進んできました。

国家の存在意義

フラット化する世界(上) を読んでいて、IT技術をテコ(もしくは一つのキッカケとして)世の中のフレームワークが変わりつつある、というのは感覚的にも論理的にも同感できます。第4部を読んできると、将来、国家と言うものが存在し得るのかと言う疑問すら出てきます。今まで企業が本社という概念である国に「所属」していましたが、グローバルそしてフラットな世界の企業になると、本社という概念すら希薄になります。単に本社があるだけで、その国に税金を納めるのは理に適わなくなってしまいます。例えば、海外へアウトソースしたり、オフショアリングしている企業では、バリューチェーンの中で利益創出している部門が本社ではないことが往々にあるからです。海外で儲けて、税金は本国(?)で払うというのはいつか限界が来そうです。勿論、経済上の理由だけで国家が存在するわけではありませんが、価値観、宗教観も徐々にミックスされて行くのでしょう。ある日、突然、全世界から国家がなくなるようなことはないですが、例えば、EUのように近い国々が同一の枠組みで一緒になり、徐々に大きくなり、最終的には国家に準ずるもののようになっていく、そう云った共同体が地球規模で5〜6個出来て、さらに融合と分裂を繰り返す、最終的には2〜3、もしくは1つにまとまる、と言うのは余りに夢想的でしょうか。

しかし、マルクスが「共産主義宣言」という本の中で、資本主義の将来に関して、当時から今Web 2.0で起こっているようなことまで、既にお見通しだったとは恐れ入りました。しかも(フリードマン氏によれば)マルクスは資本主義を批判しつつも、的確に分析し、その発展を願っていた、というのは面白いと思いました。